2008,2
動く銅像08
06+04Remix     23sat.
地球から観る円           24sun
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Open  18:30/Start  19:00
        Ticket  2500
構想・踊り手 リュウセイオー龍
音楽・演奏 
小間慶大(g) 大熊ワタル(cl.etc) こぐれみわぞう(chin-dong.gross)
動く銅像
お前は何を見ているのか?
ずっと同じ場所にい立っているだけ
お前はずっと無口で何もしゃべらない
だから何を考えているのか分からない
だからお前はずっと固まって立っているだけだ



地球から観る円
円を回り多くの人々の目玉の瞳に
隠された甘い恋
手を上げた瞬間1人、1人の
目玉の記憶が蘇る
場所  西荻窪 遊空間 がざびぃ
問合せ:龍之陣
さいたま市南区別所3-38-17
TEL/FAX 048-866-0748
携帯   080-5375-2058
E-mail   ryuseioh-ryu2005@ezweb.ne.jp
リュウセイオー龍

1984年 10月東京生まれ
1995年 「バンブーアーク 阿Qの陣」<野戦の月>
1996年 「インフォーマルセクター 眠りトンネル」<野戦の月>
1997年 「眠りトンネル・酔生夢死篇」<野戦の月>
1998年 「メフィ」<独火星・呼応計画>
1999年 「EXODUS 出ポン・前夜」<野戦の月>
     「EXODUS 出核害記」(台湾・三重)<野戦の月>
2001年 「九龍の蛆虫ども 第1部 火の記憶」<独火星・呼応計画>
2002年 「阿Qゲノム」<野戦の月=海筆子>
2003年 「阿Qクロニクル 罠と虜」<野戦の月=海筆子>
     「九龍の蛆虫ども 第2部 虚無への供物」<独火星・呼応計画>
2004年 「九龍の蛆虫ども 第3部 希望の原理」<独火星・呼応計画>
     「動く銅像」<リュウセイオーダンスプロジェクト>
2005年 「新しい天使──月にいちばん近い丘まで」<マダンの光2005>(韓国・光州公演)
2006年 「野草天堂──Screen Memory」<海筆子>(台湾・台北公演)
     「野草天堂 海峡と毒薬」<野戦之月海筆子>
     「Ugoku Bronze Stature」< East Asia Tour Performance>(韓国・ソウル 他公演)
     「クゴッ─友よ、安らかにくたばれ」<独火星・呼応計画>
2007年 「変幻痂殼城」<野戦之月海筆子>(東京→北京公演)
大熊ワタル

1960年 広島県生まれ。10代から音楽活動を始める。
     25歳頃、チンドン屋の世界に触れ、クラリネットを手にする。
1997年 クラリネット奏者として自己のグループを始動シカラムータと命名。
1998年 ファーストアルバム「シカラムータ」を発表。
1999年 映画「豚の報い」(崔洋一監督)サウンドトラック担当。
2000年 6週間、8カ国にわたるヨーロッパツアー敢行。
2001年 2枚目のアルバム「凸凹」発表。また、初の主著「ラフミュージック宣言」上梓。
2004年 3枚目のアルバム「ゴースト・サーカス」発表。
2006年 4枚目のアルバム、ライヴ盤「生蝉」発表。
2007年 映画「サイドカーに犬」(根岸吉太郎監督)の音楽を手がける。
     シカラムータ以外でも数々のプロジェクトで内外のアーティストとの共演多数。

ごぐれみわぞう

     6月10日千葉県千葉市生れ。
1995年 演劇スタッフとして活動中、巻上公一や大熊ワタルらとの
    出会いをきっかけに音楽シーンに異動。
1996年 大熊ワタルのマネジメントを始める。
1997年 ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの初海外遠征で、
    チンドン太鼓の演奏開始、ソウル・フラワー・ユニオンに
    一時ゲスト参加、モノノケ・サミットには2002年まで参加。
    その後、新世代ロック系チンドン・プレイヤーとして、シ
    カラムータをはじめ、さまざまなユニットに参加、国内外
    で活躍中。
小間慶大

1979年に伝説のパンクバンド「INU」のギタリストとして音楽キャリアをスタート
させる。同バンドでしばしの活動後、脱退。
1981年に関西のパンキー・レゲエバンド「UPメーカー」へ参加。
その後「オルケスタ・デル・ビエント(風の旅団楽団)」を経て、現在は「野戦の
月楽団」「シェシズ」「アノン」のギタリストとして活躍、また「独火星」などの
劇団への楽曲提供やソロとしても精力的に活動を展開している。

2005年、83年以降に書きためてきた膨大な楽曲の中からベスト・セレクトした劇
中音楽集「青空」をリトルモアレコーズより発表。

舞台監刀/渡辺 薫、照磨/2PAC、音効/新井輝久、舞台美術/長友裕子、衣裳/おかめ
写真/陳 又維・清水浩一郎・kohide、宣伝美術/村重勇史、印刷/制作室クラーロ
制作/野戦之月海筆子
協力/独火星・田中 明

逆鱗に揺れる   桜井大造 (野戦之月海筆子所属)

 リュウセイオー龍の踊りの様態は「揺れ」である。エンジンを始動した時の原動機付き三輪車のような「揺れ」に始まり、長い四肢が抗うようにもがき出すと、その激しさゆえに本体の重心をも奪ってしまう。あやういほどに重心が移動し続け、それが不定形な「揺れ」となるのだ。そんな揺曳する幾筋もの動線が折り重なってついに彼独自の「空間」が生まれる。それはどんな郷愁とも無縁な場所であって、いわば「未生の場」、ただただ刮目する以外ない空間なのだ。
 一般的にいって、存在に対する重力からの解放が、踊る者の欲望の起点にあるとすれば、彼の踊りほどその欲望を露わにしているものはないと思われる。とはいえ、彼の場合、それは飛翔や跳躍といった現れでも、地団駄を踏むような重力との対抗でもない。底なしの沼に身体ごとすっぽりと呑み込まれた者の悶えに似て、彼は激しく四肢を暴れさせて重心を変え続ける。全方位から彼の身体に纏い付いてくる重力と浮力の両方に抗するためにだ。
 四肢を激しく駆動しているのは、彼の喉仏ではないかと思われる。ここが欲望の策源地であると思われるのだ。顎下に宝珠をのんでいると言われる<龍>のごとく、彼の喉仏は雷雲を呼ぶように唸りを発し、たえず脈動しているからだ。そして、北京に立ったテントの隙間から彼の踊りをのぞいた時に、確信したことがある。リュウセイオー龍はすでに一匹の<龍>だったのだ。喉仏の下に見えるのは逆さに生えた鱗であり、眼光は幽鬼のそれであった。年若い彼がすでに沼から抜け出て、怒りをカタチにしていたのである。北京で彼の逆鱗が揺れていたのだ。
 ここ数年、リュウセイオー龍は東アジアの都市で踊る機会が多い。韓国光州市の監獄跡地や全羅南道道庁前広場、ソウル市の街路、台湾のハンセン病療養所楽生院と台湾国家戯劇院実験劇場、そして北京市のビジネスエリアと出稼ぎ労働者の村に建てられたテントの中である。
 そのいずれもが各地の観客たちに大きな衝撃を与えてきた。とりわけ若い世代にとって龍の踊りは他人事ではない。彼らもまた重力と浮力に全身を絞められ喉元を詰まらせているからだ。
 今回のソロ公演は、ここ数年のリュウセイオー龍の姿をあまりなく伝える機会となるだろう。お見逃しなきよう。