![]() |
||||||||||||
|
|
||||||||||||
| <序文> 「穢れ」に徹してひるむことなく! 桜井大造 12世紀から16世紀の中世期、日本では、放浪者による「説経節」が民衆芸能として盛んであった。 「説経節」というのは、路上や神社仏閣などで観客を集めて催される「語り」の芸能である。後発し た日本の伝統的演劇である「能」や「人形浄瑠璃」「歌舞伎」は、この「語り芸」から題材を得たも のも多い。しかし、全国的な支配体制が強化され、商品経済が発展する17世紀頃から、「説経節」は 伝統芸能となることなく、次第に衰退し消滅したと言われる。 現在残存している「説経節」の数少ないテキストのうち、「ハンセン病」者が主役の物語が2つもある。 このことは、中世期の日本に「ハンセン病」罹患者が相当数いたことを示すだけでなく、「ハンセン病」 自体が重要な社会的テーマになっていたことをも示している。当時、勃興した民間宗教(仏教)には、 「穢れの思想」というものがあった。とりわけ、法華経の教えは、身体の欠損や皮膚の異常を「穢れ」 として忌み嫌うものであった。「穢れ思想」は、日本の民衆の中に急速に普及し、根づいて、基本的 には現代日本人の心理にまで繋がっているものだ。この「穢れ思想」の普及ゆえに、外見に症状が出 る「ハンセン病」者は、徹底した差別のもとに置かれ、集落や家庭から放逐され、路上や特殊な集団に身 を置かざるをえなくなったのである。 日露戦争の勝利によって、後発帝国主義国家となった日本は、民衆の「穢れ思想」を背景として 「ハンセン病」罹患者の隔離政策を開始する。人権をまったく無視したこの政策の意味は、後進国には 「ハンセン病」罹患者が多いとされることに対して、日本近代化の進捗を世界に示すためであった。日本 国内に10カ所余りの療養所を設けたのを皮切りに、1916年、朝鮮に小鹿島療養所を、1930年には 台湾に楽生院を、1939年には偽満州国に同康院を設置した。また、1942年には、南太平洋のナウル 島にいた40名の「ハンセン病」罹患者を、欺いて船に乗せ海に流したのち、砲撃して虐殺したのだっ た。日本民衆の偏見と日本国家の近代主義がセットとなって、「ハンセン病の撲滅」ではなく、「罹 患者の撲滅」という残虐が行われたのである。 日本敗戦直後、光復直後にはすでに、「ハンセン病」には危惧するような伝染性がないことが証明され、 抜本的な治療薬も発見されていた。しかし、日本においても台湾においても、「ハンセン病」患者の 隔離政策は強固なままであった。60年代以降、国際的な批判の高まりを巧妙に回避しながら、民衆の 差別意識・偏見を利用した国家による放置と不作為が、ついこの現在まで続いてきたのである。 私たちは、楽生療養院で公演を行う。「野草天堂」は、放浪芸能である「説経節」のいくつかの物語 から想を得た演劇である。しかし、中世の物語をトレースして現代化するとか、「ハンセン病」を題材と するという意味ではない。劇場芸術にいたる以前の放浪芸能のありかたに、着想をもらっているとい う意味である。当時、路上や神社仏閣に参集した芸能者と観衆たちは、「ハンセン病」を含む様々な社会 的テーマをどのように伝達しあったろうか? それはどのような「反省の形式」を発見させたろうか? その場はどのような共鳴の器となったろうか?現代演劇という表現はすでに、劇場で消費される単一 で固定された「情報」に過ぎなくなっているように思われる。情報サーキットとしての劇場の中では、 演員も観客もまた一点の情報に過ぎず、それがよりよく消費できるかどうかだけが価値である。ここ では、伝達も反省も共鳴も値札のピンで留められ、連絡しあったり、変形を被ったりすることがない。 現在は過去と交流できないかのような錯誤が舞台に敷き詰められ、時間の扉はイメージとなってのみ 映写され、歴史の門はアーカイブスという名の天上の彼方だ。 今回、私たちは逆立ちする幽霊のような面持ちで、あるいは死滅した生命の泥によって生育した野草 のような所作で、この演劇の「場」を作るだろう。「穢れ」に徹してひるむことなく、楽生療養院と ともに、歴史の泥濘に入るつもりだ。 ……但我坦然,欣然。我将大笑,我将歌唱。 <登場人物> 賄い婦・照手姫 狐憑依的母・葛葉 潮汲み者的姐・安寿姫 探偵的弟・厨子王 野草天堂的巫女・乙姫 放浪説経師・愛護 野草天堂的院長・山椒太夫 餓鬼阿弥・小栗 漢方薬商人・もう一人の小栗 放浪学生・身毒丸 墓場盗掘者・辛 手紙配達人・苦 |
||||||||||||
|
|
||||||||||||
![]() |
||||||||||||
【移動演出場次及入場洽詢】 ◎樂生療養院内半山坡的中山堂(台北縣新莊市中正路794號)洽詢電話:0968-418663 (頼小姐) 時間:2006年2月5日(日)(大年初八)下午5點,只有1場。 入場説明:本場次為樂生院義演,邀請樂生院阿公阿媽們免費觀賞;同時歡迎非樂生院 院民的朋友們前來觀賞,請欲觀賞本場次的朋友們,於2/2(四)前註明姓名/Email/電 話/人數,Email至haibizi2006@yahoo.com.tw 或傳真至02-2356-8362,經確認後可取 得優先入場順序。本演出由「海筆子」獨立製作,所有工作人員不支薪,請前來觀賞的 朋友們準備250元的紅包,贊助演出製作費,謝謝!新年快樂! 交通:請參考籌備網頁 http://blog.xuite.net/sourtime/2005/4592553 ◎國家戲劇院實驗劇場(台北市中山南路21-1號) 時間:2006年2月11日(六)晩上7點半,12日(日)下午3點,共2場。 票價:400元(2/ 6(一)以前預購票9折,學生票9折,10張以上團體票85折) 購票請洽兩廳院售票系統 http://www.artsticket.com.tw 電話:02- 3393-9888 ▲回到序文 【台灣演劇集團「海筆子」】 1999年,編導櫻井大造率日本劇團「野戰之月」,在三重市的河岸公演了帳篷戲劇 《Exodus(出核害記)》。第二年,「差事劇團」公演帳篷戲劇《記憶的月臺》,其後我 們舉行了自主稽古戲劇工作坊,?外參加了秦Kanoko舞踏公演等,通過各種方式,我們 與臺灣的表現者一起走到了現在。東京的劇團「野戰之月」一方面堅持在日本的公演, 一方面在臺灣用「海筆子」這一與臺灣人共同行動的演劇集團名稱,以臺灣作爲?一個 活動據點,進一歩推動行動計劃。2005年3月在台北市同安街底空地策劃台灣帳篷戲劇 《台灣Faust》。之後,「海筆子」成員走進樂生療養院, 8月開始,持續毎個月月底 在樂生院籌備結合音樂、劇場、影像、裝置、自己來市場等元素的【音樂・生命・大樹 下】行動,並在櫻井大造的提議和贊助下,為大樹下行動搭建舞台。?,秦Kanoko、朱 正明、許雅紅、李薇以個人solo參與大樹下925劇場身體行動。 「海筆子」不只是演劇集團,更是行動的名稱。雖然以臺灣爲據點,但這並不是單單爲 臺灣人的行動計劃。在地理上被稱作東亞的領域,從中國南海到臺灣海峽,從東海、黄 海到日本海,都好像漂浮的“水草”,所以如此命名。似“水草”般無所依憑的弱小力 量=身體的表現,這一地區近代的歴史性是如何與現在的區域政治學?撞、鬥爭,又是 怎樣介入的。且把它當作假説,但,這正是“劇場”所憧憬的。 【工作人員表】 製作演出/台灣演劇集團「海筆子」 編 導/櫻井大造 演 員/櫻井大造、秦Kanoko、林于竝、李秀?、朱正明、許雅紅、李薇、段惠民、 林欣怡、陳惠善、林信宏、流星王・龍 編 舞/秦Kanoko 音 樂/坂本弘道 舞台監督/村重勇史 舞 台/遠藤弘貴、村重勇史、段惠民、孫銘? 舞台美術/柯?峰、秦毓智 燈 光/呉啓新Friday、李湘陵、劉繕惟、林慧蓉、朱家聖、陳佳?、李沐恂、鄭嘉 林 服 裝/林依?、豐福教子、陳香伶Erica、Okame 音樂執行/陳俊樺 翻 譯/林于竝、胡冬竹、宗田昌人 宣 傳/王思?、林怡卉 平面設計/秦毓智 影像紀録/陳又維、陳芯宜、蔡詠晴bibi、倪武宏、平烈浩 票 務/蒋友竹、鄒欣寧 前 台/謝一誼、陳乃華 製 作/許雅紅、林欣怡、頼澤君 協 力/王墨林、鍾喬、瓦旦●塢瑪(蕭振君)、吉井孝史、柳春春阿忠、許玉盞阿姨、 鴻鴻、夏夏、陳淑惠、巫祈麟、Marco Casagrande、李?、許逸亭、劉峰、劉秦萱、藍 貝芝、小李飛鷹、秦嘉? 企 畫/海筆子、水田部落工作室 特別感謝/樂生保留自救會、差事劇團、?嶺街小劇場、柳春春劇社、角落劇團、黄蝶 南天舞踏團、辛苦之王出版社、地下社會、樂生那?西、青年樂生聯盟、大樹下行動小 組、日本野戰之月劇團 |
||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||
![]() |
||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||